この冬はにんにくパワーで乗り切ろう!
けんこ~コラム・10
この冬はにんにくパワーで乗り切ろう!
今年がもうすぐ終わりますね。
2020年、どんな年でしたでしょうか?
にんにく玉本舗のにんにく玉を家族で愛用しています、東京在住の難波です。
今年はコロナウィルスの流行に左右されてしまった年でした。
行きたかった旅行や仕事まで制限されて、
家に閉じこもっていた方も多かったのではないでしょうか。
運動不足や栄養のバランスが気になる中、
健康を維持するために色々と試してみた方もいらっしゃると思います。
私はこれを知っていてよかったと思いました。
だって手元にはにんにく玉があったから。
ニンニクは薩摩で、古くからの滋養食でした。
せごどん、西郷隆盛氏の君主 島津齊彬公。
彼の會祖父、島津重豪公は博識で学問と教育の普及に熱心だったそうです。
その彼が編集させた成形図説という書物ににんにくの記載もあったそうです。
島津重豪公はたいそう丈夫で江戸時代において
80歳を超えても元気で江戸や長崎を東奔西走したそうです。
明らかに食べ物や生活習慣に工夫をして健康を維持されたのでしょう。
なんと、幼い齊彬公と重豪公は共にあのシーボルトと会見し、
「80余儀と聞いているが、どうみても60歳前後にしか見えない」
と言われたそうです!
さて、そんなご家豪公が生きた江戸時代は
一体何が滋養源として重宝されたのでしょう。
重豪公の元気の秘訣…それは色々あるかもしれませんが、
その一つが間違いなくニンニクであったに違いありません。
ニンニクは年齢を重ねても元気でいるために滋養源として食されました。
特に火が通ったニンニクは栄養素が高く、
更に身体が丈夫になるという良い循環が生まれるのです。
私は薩摩の歴史を調べて、この重豪公の事を知った時に、
手元のにんにく玉を見ながらニヤニヤが止まりませんでした。
今年、私と私の家族は不調知らずだったからです。
大河ドラマのあの登場人物の祖先の方が健康の礎を築いてくださって今元気でいられる…。
関東から西の方をむいて、そっと手を合わせて一礼しました。
今年もありがとう、どうか、来年も私と私の家族をよろしくお願いします、と。 難波
2020年、どんな年でしたでしょうか?
にんにく玉本舗のにんにく玉を家族で愛用しています、東京在住の難波です。
今年はコロナウィルスの流行に左右されてしまった年でした。
行きたかった旅行や仕事まで制限されて、
家に閉じこもっていた方も多かったのではないでしょうか。
運動不足や栄養のバランスが気になる中、
健康を維持するために色々と試してみた方もいらっしゃると思います。
私はこれを知っていてよかったと思いました。
だって手元にはにんにく玉があったから。
ニンニクは薩摩で、古くからの滋養食でした。
せごどん、西郷隆盛氏の君主 島津齊彬公。
彼の會祖父、島津重豪公は博識で学問と教育の普及に熱心だったそうです。
その彼が編集させた成形図説という書物ににんにくの記載もあったそうです。
島津重豪公はたいそう丈夫で江戸時代において
80歳を超えても元気で江戸や長崎を東奔西走したそうです。
明らかに食べ物や生活習慣に工夫をして健康を維持されたのでしょう。
なんと、幼い齊彬公と重豪公は共にあのシーボルトと会見し、
「80余儀と聞いているが、どうみても60歳前後にしか見えない」
と言われたそうです!
さて、そんなご家豪公が生きた江戸時代は
一体何が滋養源として重宝されたのでしょう。
重豪公の元気の秘訣…それは色々あるかもしれませんが、
その一つが間違いなくニンニクであったに違いありません。
ニンニクは年齢を重ねても元気でいるために滋養源として食されました。
特に火が通ったニンニクは栄養素が高く、
更に身体が丈夫になるという良い循環が生まれるのです。
私は薩摩の歴史を調べて、この重豪公の事を知った時に、
手元のにんにく玉を見ながらニヤニヤが止まりませんでした。
今年、私と私の家族は不調知らずだったからです。
大河ドラマのあの登場人物の祖先の方が健康の礎を築いてくださって今元気でいられる…。
関東から西の方をむいて、そっと手を合わせて一礼しました。
今年もありがとう、どうか、来年も私と私の家族をよろしくお願いします、と。 難波
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